1182年 (壽永元年)10月11月
1182年 (養和2年、5月27日改元 壽永元年 壬寅)
10月9日 「吾妻鏡」
「城の四郎永用と木曽の冠者義仲と合戦」
越後の住人城の四郎永用、兄資元(当国守)が跡を相継ぎ、源家を射奉らんと欲す。仍って今日、木曽の冠者義仲北陸道の軍士等を引卒し、信濃の国築磨河の辺に於いて合戦を遂ぐ。晩来に及び、永用敗走すと。
(横田河原の合戦のようであるが、玉葉、吉記と比較しても、ミスのようである。)
11月17日 天晴
「太神宮の禰宜等東国に同意する風聞」
権右中弁行隆、院の御使として来たり云く、太神宮(伊勢)の禰宜(ねぎ、神主の下の神職)等東国に同意するの由風聞有るの條、尋ね問わる文書此の如し。罪科有るべきや否や。計らい申すべしといえりと。
(余申して云く、縦え祭主と雖も、謀叛に同意するの者、爭でか沙汰無きや。但し此の如き浮説、これ文書の如きは、慥に証拠見えざるか。猶嫌疑の者に尋ねられ、所犯の実に随い、沙汰有るべきか。)
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