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2005年11月14日 (月)

1184年 (壽永3年、元暦元年)7、8、9月

1184年 (壽永3年、4月16日改元 元暦元年 甲辰)

7月3日 「吾妻鏡」己丑
 武衛(頼朝)前の内府(宗盛)已下平氏等を追討せんが為、源九郎(義経)主を以て西海に遣わすべき事、仙洞(せんとう)に申さると。
(注釈)
仙洞(せんとう)・・・上皇の御所。この場合、後白河法皇のことか。

7月8日 晴 
「伊賀・伊勢の平家党類謀叛」
 伝聞、伊賀(三重県西部)・伊勢(三重県)の国人(こくじん)等謀叛したり。伊賀の国は、大内の冠者(源氏)知行(ちぎょう)すと。仍って郎従等を下し遣わし国中に居住せしむ。而るに昨日辰の刻(8時)、家継法師(平家の郎従、平田入道と号す)大将軍として、大内の郎従等悉く伐ち取りたり。
「鈴鹿山を切り塞ぎ」
 また伊勢の国、信兼(和泉の守)已下鈴鹿山を切り塞ぎ、同じく謀叛したりと。この事に因って院中物騒す。喩(たと)えを取るに物無し。
(注釈)
国人(こくじん)・・・在地の武士。
知行(ちぎょう)・・・土地を支配すること。治めること。

7月20日 晴
「官軍近江の国で謀反輩を敗る」
 伝聞、昨日伊勢謀叛の輩、近江の国(滋賀県)に出逢い、官兵と合戦す。官軍理を得て、賊徒退散す。宗(そう)たる者を伐ち取りたりと。
(注釈)
宗(そう)・・・最もすぐれた人。

7月21日 
「平田入道梟首」
 伝聞、謀叛の大将軍平田入道(家継法師)梟首(きょうしゅ)せられたり。その外両三人大将軍たる者伐たれたりと。忠清法師・家資等山に籠もりたりと。
「官軍佐々木秀義討たれる」
また官軍の内、大佐々木の冠者(名を知らず)伐たれたり。凡そ官兵の死者数百に及ぶと。
(注釈)
梟首(きょうしゅ)・・・斬罪に処せられた人の首を木にかけてさらす事。さらし首。

7月28日 晴 
「太政官庁にて即位行わる」
 この日即位の事有り。治暦四年の例に依って、太政官(だいじょうかん)の正庁に於いて、これを行わる。抑(そもそ)も劔璽(けんじ)の帰り来たるを相待ち、即位を遂行せらるべきや否や、予め人々に問わる。摂政(基通)及び左大臣(経宗)等に依り、剣璽を備えず、天子の位を践(ふ)む。異域例ありと雖も、わが朝かって跡無しと申す。然れども叡慮(えいりょ)並びに識者等の議奏(ぎそう)、天意を知らず、神慮(しんりょ)を測らざるに依って、行わるる所、只目を以てするのみ。
(注釈)
即位(そくい)・・・天皇践粗(せんそ)の後、即位の大礼を行うこと。
太政官(だいじょうかん)・・・国政を総括する最高機関。
劔璽(けんじ)・・・三種の神器のうち、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)。宝剣と神璽。
叡慮(えいりょ)・・・天子のお考え。天皇・上皇などの御心。
議奏(ぎそう)・・・政事を議定して奏上すること。
神慮(しんりょ)・・・神のみこころ。

8月1日 晴 
「鎮西多く平氏に与す」
 或る人云く、鎮西(九州)多く平氏に與(よ)したり。安藝の国(広島県西部)に於いては、官軍(早川と)と六ヶ度合戦す。毎度平氏理を得ると。
(注釈)
與(よ)・・・仲間になること。

8月6日 晴
「義経明日任官すべし」
 午の刻、源中納言来たり、数刻言談す。語りて云く、去る比頼朝納言に還るべきの由、推挙を泰経に付け申し上ぐと。定めて不快の事有るか。恐れを為す。また云く、明日除書有るべし。九郎任官すべしといえり。

8月8日 「吾妻鏡」甲子 晴
「範頼、平家追討使として西海に赴く」
 参河(みかわ)の守範頼、平家追討使として西海に赴く。午の刻進発す。旗差(旗これを巻く)一人、弓袋一人、相並び前行す。次いで参州(紺村濃(こんむらご)の直垂(ひたたれ)を着し、小具足(こぐそく)を加え、栗毛(くりげ)の馬に駕(が)す)、次いで扈従(こしょう)の輩一千余騎龍蹄(りゅうてい)を並ぶ。所謂、
    北條の小四郎  足利蔵人義兼   武田兵衛の尉有義  千葉の介常胤
    境の平次常秀  三浦の介義澄   男平太義村     八田四郎武者朝家
    同男太郎朝重  葛西の三郎清重  長沼の五郎宗政   結城の七郎朝光
    籐内所の朝宗  比企の籐四郎能員 阿曽沼の四郎廣綱  和田の太郎義盛
    同三郎宗實   同四郎義胤    大多和の次郎義成  安西の三郎景益
    同太郎明景   大河戸の太郎廣行 同三郎       中條の籐次家長
    工藤一臈祐経  同三郎祐茂    天野籐内遠景    小野寺の太郎道綱
    一品房昌寛   土左房昌俊
  以下なり。武衛(頼朝)御桟敷(さじき)を稲瀬河の辺に構え、これを見物せしめ給うと。
(注釈)
参河(みかわ)・・・参州。愛知県東部。
紺村濃(こんむらご)・・・紺色のむらご。全着すせられる濃い紺色にしたもの。
直垂(ひたたれ)・・・垂領(たりくび)式の上衣で、袴と合わせて用いた。
小具足(こぐそく)・・・武装の際の付属具。
栗毛(くりげ)・・・馬の毛色の名。たてがみと尾は赤褐色で、地色の赤黒色のもの。
駕(が)・・・あやつる。
扈従(こしょう)・・・つき従うこと。
龍蹄(りゅうてい)・・・すぐれた馬。

8月17日 晴
「頼朝上洛の風聞あり」
 伝聞、頼朝鎌倉を出て、すでに上洛するの間、伊豆の国に逗留す。秋の中入京すべからずと。この事甚だ甘心せず。天下勿(たちま)ちに滅亡か。
8月17日 「吾妻鏡」
「九郎左衛門少尉検非違使」
 源九郎主の使者参着す。申して云く、去る六日左衛門(さえもん)少尉(じょう)に任じ、使の宣旨を蒙る。これ所望の限りに非ずと雖も、度々の勲功を黙止せられ難きに依って、自然の朝恩たるの由仰せ下さるるの間、固辞すること能わずと。この事頗る武衛の御気色に違う。範頼・義信等の朝臣受領の事は、御意より起こり挙し申さるるなり。この主の事に於いては、内々の儀有り。左右無く聴されざるの処、遮って所望せしむかの由御疑い有り。凡そ御意に背かるる事、今度に限らざるか。これに依って平家追討使たるべき事、暫く御猶予有りと。
(注釈)
左衛門(さえもん)・・・左の皇居諸門の護衛。
尉(じょう)・・・次官(すけ)の下。衛門府、兵衛府、検非違使など。
使(し)・・・検非違使(けびいし)。京中の警察兼裁判官。
宣旨(せんじ)・・・天皇の命を伝える公文書。
御気色・・・御意向。
受領(ずりょう)・・・諸国の長官。(範頼は参河の守、義信は武蔵の守。)

8月18日 晴
「義朝免罪せらるべき事」
 大外記頼業来る。また云く、義朝が首、今に囹圄(れいぎょ)に在り。而るに罪を免さるべし。その間の事勘じ申すべき由、泰経の奉行となり仰せ下されたり。(中略)或る人云く、文覺上人上洛し、在獄の義朝の首を取り、鎌倉に向かうべしと。
(注釈)
囹圄(れいぎょ)・・・ろうや。

8月21日 晴 
「頼朝木瀬川に着す」
 伝聞、頼朝鎌倉城を出て木瀬川(伊豆と駿河の間と)の辺に来着し暫く逗留す。飛脚を進し申して云く、すでに上洛仕る所なり。但しひきはりても上洛候はざるなり。先ず参河の守範頼(蒲の冠者これなり)、数多の勢を相具せしめ参洛せしむ所なり。一日と雖も、京都に逗留すべからず。直に四国に向かうべき由仰せ含める所なりと。また聞く。荒聖人文覺を以て申して云く、当時摂政(基通)平妻を棄て置き洛に留む。敢えて過怠無きの上、君また此の如く思し食す。異議有るべからず。兼ねてまた入道関白(基房)尤も顧問に備うべき人なり。荘園少し。然るべきの国一つ宛て賜うべしと。或る説に云く、文覺頗る不けざるの気有りと。然れども、在獄中の義朝が首を取り、来るべきの由仰せ付くと。

8月23日 晴 
「院頼朝を基通の婿とせんとすという」
 伝聞、摂政(基通)頼朝が聟たるべしと。これ法皇仰すと。仍って五條亭を修理し移住せらる。頼朝上洛の時新妻を迎えんが為と。

9月3日 晴 
「源範頼藤原範季に養育さる」
 早旦範季朝臣来たり、不思議の事を示す。参河の国司範頼(件の男幼稚の時、範季子として養育す。仍って相親しいと)、上洛の間、件の事聞かず知らずの由を答う。頗る疑貽有り。然れども事の跡顕然たり。猶信ぜざるべからざるか。

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