1185年 (元暦2年、文治元年)11月簡略版
1185年 (元暦2年、8月14日改元 文治元年 乙巳)
(11月簡略版)
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11月1日
「九郎等下向延引」
11月3日
「行家・義経西海に赴きたり」
11月4日 天晴
「武士等義経を追行すと」
11月5日
「九郎等室に於いて乗船」
11月8日
「義経・行家等、去る五日夜乗船、大物辺に宿す」
11月10日
「頼朝追討の宣旨を下さるる」
11月11日
「三位中将の名良経、九郎の名義経なり義経須く改名すべきなり」
11月12日
「義経・行家等召し奉るべきの由、院宣を下さると」
11月13日 天晴
「関東の武士、多く以て入洛すと」
11月14日 天晴
「頼朝一定京上すべきの由風聞す」
11月15日 「吾妻鏡」
「日本国第一の大天狗」
11月16日 天晴
「頼朝決定上洛すべしと」
11月18日
「頼朝卿決定国を出て、当時駿河の国に就く」
11月19日 「吾妻鏡」
「土肥の次郎實平一族等を相具し、関東より上洛」
11月20日 「吾妻鏡」
「義経・行家等悪風に遭い漂没す、両人未だ死せざる」
11月21日 天晴
「頼朝の上洛決定留まりたり。」
11月22日 「吾妻鏡」
「豫州吉野山の深雪を凌ぎ、潛かに多武峰に向かう。」
11月23日 天晴
「北條四郎時政今日入洛す。その勢千騎と」
11月25日 「吾妻鏡」
「北條殿入洛すと」
11月26日 「吾妻鏡」
「義経に追討の宣旨」
[玉葉]
「頼朝追討の宣旨奉行の人々、損亡すべし」
11月28日 「吾妻鏡」
「兵粮米(段別五升)を課す」
諸国平均に守護(しゅご)地頭(じとう)を補任(ほにん)し、権門(けんもん)勢家の庄公を論ぜず、兵粮米(段別五升)を宛て課すべきの由、今夜北條殿籐中納言経房卿に謁し申すと。
[玉葉]
「兵粮(段別五舛)を宛て催すべし」
伝聞、頼朝代官北條丸、今夜経房に謁すべしと。定めて重事等を示すか。又聞く、件の北條丸以下郎従等、相分ち五畿・山陰・山陽・南海・西海諸国を賜う。庄公を論ぜず、兵粮(段別五舛)を宛て催すべし。啻(ただ)に兵粮の催し(もよおし)に非ず。惣て以て田地を知行(ちぎょう)すべしと。凡そ言語の及ぶ所に非ず。
(注釈)
兵粮米(ひょうろうまい)・・・戦時における将兵の食糧。
段別五升(たんべつごしょう)・・・田一反あたり5升。
守護(しゅご)・・・大番(おおばん)の催促、謀反人・殺害人の検断などを担当。
大番(おおばん)・・・宮廷の警護をつとめた役。
地頭(じとう)・・・行家・義経を捕らえる名目で、各地の荘園・公領に置いた。
補任(ほにん)・・・職に補し官に任ずること。ふにん。
権門(けんもん)・・・官位高く権勢のある家柄。
北條丸・・・丸・・・「麻呂」の転。人名の下に付ける語。北条時政。
五畿(ごき)・・・畿内。大和、山城、河内、和泉、摂津の五カ国。
山陰(さんいん)・・・山陰道。現在の中国地方・近畿地方の日本海側。
山陽(さんよう)・・・山陽道。播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門。
南海(なんかい)・・・南海道。紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐。
西海(さいかい)・・・西海道。今の九州地方。
催し(もよおし)・・・うながし集めること。
知行(ちぎょう)・・・土地を支配すること。
11月29日 「吾妻鏡」
「諸国守護・地頭・兵粮米の事、御沙汰有るべき」
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